ノマクニヒコのブログ

書きたいことを書きます。

おばちゃんトークとブログの関係

この前、新宿から自分の家に向かうために総武線千葉行きに乗っていたときのこと。

隣におばあちゃんらしき人たちが三人ほど乗ってきた。特に聞くつもりはないのだが、女の人が何人も集まればそら大きな声でしゃべるので勝手に耳に入ってくる。

田端にいくんだっけ?じゃあ新宿で降りて山手線に乗ればいいね!

とか言ってる。それを耳にして、あれ、もう四ツ谷ですよ、通過してますよ、と携帯を見ながら思った。きっと乗り過ごしてしまったのだろう。このまま放っといたらどこまでも行っちゃうかもなあと思って、とりあえず、もう新宿過ぎてますよ〜、山手線に乗りたいたら秋葉原まで行ったらどうですか?と言った。

あれ!やだね、過ぎちゃったって!ありがとね〜お兄さん。

てな感じでおばあちゃんたちは無事に秋葉原で降りることができた。

まぁこのエピソードはこれで終了。

つまりここで言いたいのは、おばあちゃんたちが寡黙な人たちで、田端に行きたいこと、新宿で降りること、を大きな声でしゃべってなければ、僕は助言をしなかったということだ。一見無駄に見える情報提供も、周りに聞こえるように言っていれば間違ってた場合、誰かが訂正してくれる可能性が高い。

これってブログとかツイッターとかでいまの現状や暮らしぶりをあらかじめ伝えておけば、誰かが勝手に助けてくれる、という話に近いんじゃないか、と思ったのである。

最近仲良くなったブログを書いているカルロスさんて方の話。彼はヒッチハイクで東京から岐阜にいくよーと告知をしたら、じゃあ名古屋から乗りますか、とか読者の人から声かけられたりとか、名古屋から東京まで行きますけど一緒に行きますか、とかカルロスさんが頼んでもないのに勝手に向こうが助け船をだしてくれたらしい。

まさしくネットワークの奇跡だと思う。インターネットという人の網の中に自分のことや要望、現状など報告しておくと助けてくれる人が勝手に現れるのだ。

一見無駄に見える声が大きなおばちゃんトークも同じようなもので、現状をつぶさに報告することによって、周りの人間も会話の中に入り込みやすくしている。

実際その人を助けるかどうかの基準というのも、その人がどういう人なのか伝わってるほうが助けてくれるとは思うが、大きな声で無駄なことでもしゃべるってなかなか侮れないって思った次第です。