ここは車の通りも少なく、とても快適に過ごせた。車の通りが多いとうるさいし子供にとって危険だ。最近はとにかく車のことを忌み嫌っている。車の数が多いとイライラしてしまう。都心には電車もバスもあるのだから車は必要ないだろうに。
余談が長くなった。僕は車のことを語りたいわけではない。2歳になった息子のことだ。
2歳児は一生懸命遊ぶ。僕らが公園につくやいなや、彼は滑り台に向かって走り出した。覚束ない足取りで頂上に登る。頂上についたら僕に向かって「パパー!」と笑顔でこちらに手を振ってきた。そのとき僕の心は不思議なほど満たされた。幸せと呼べる瞬間かもしれない。もしこのまま気を失ったとしても僕は悲しくないかもしれない。
この幸せはなんなのだろう。
翌日になり、半日考えてみた。
「息子が僕のことを信頼している」
その気持ちが伝わったからこその満足感なのかもしれない。
「信頼されている」
その気持ちはなんと素晴らしいことだろう。なんと温かいのだろう。これは一朝一夕で作れるものではない。彼が生まれてから2歳になるまで多くの苦労があった。それを家族で乗り越えた。なんとかここまでやってきたからこその信頼関係である。
もし僕が彼に対して不誠実なことをしていたら、彼は僕を信頼しないだろう。笑顔で手を振るなどしないだろう。ここまで積み上げてきたものの大きさを感じられて幸せなのだ。
信頼というのは大切な概念だ。僕を信頼してくれたから、嫁さんは結婚してくれたのだろう。僕を信頼してくれたから、親御さんたちは結婚を認めてくれたのだろう。そしてその信頼関係を継続できたからこそ、この家族がこの家族のままでいることができる。
子供を育てるというのは家族の信頼関係を育てていくことかもしれない。それは実るまでとても時間がかかる。大変な苦労を伴う。しかし少しづつ積み上げた信頼関係は余程のことがない限り崩れない。それこそが家族である証だと思う。例え血が繋がっていなくてもそのような信頼関係を作ることは出来ると思う。家族というのはそういうものだ。積み上げてきたものが他人とは違うのだ。
家族がいるという幸せはこういうことかもしれない。お互いに信頼関係を結ぶことが出来ればそれは良い家族だ。