人には適正があるといいます。人には向いているものと向いていないものがある。
僕はやろうと思えば何でも出来るだろうと思っています。
ただそれを続けることが出来たり、楽しむことが出来たり、工夫する意欲が湧いてくるかは違いますね。何かを良いものにするためにはそれなりに努力が必要です。その過程を楽しむことが出来るかどうかは人によって適正があるのかなと思います。
いまの世の中って消費社会ですよね。
顔の見えないお客さん。工場で大量に作られる製品。人の欲望を原動力に発展してきた資本主義社会。
人の欲望は歯止めがありません。使っては捨てて、また新しいものを使っては捨てる。みんな安くて質のいいものが欲しい。
時間が足りなくて全部手作業にすることは出来なくなる。質を落とさないために機械を導入する必要がある。画一的なものが出来上がる。機械を動かすだけの仕事は何か面白くない。画一的な商品はどこか味気ない。
今の世の中はそういうことになっています。安く質のいい製品を大量に。物がない時代からしたらなんと幸福な時代か分かりません。でもそれも行き着いてしまいました。
一体どこまで利益を求めれば人は幸せになれるのでしょう。社長さんはどこまでお金を自分の懐に入れば満足するのでしょう。
僕は自分が生きていくために必要な数字が手に入るのならそれ以上は必要ないと思います。お金だけで幸せになれるとは思いません。
誰かが決めたルールを無理やり守らされたり、やりたくないことをやらされたり。そういう世の中って少しつらいですね。
それぞれがやりたいことをやりたいと思うのなら、全員が自分の必要最低限を稼げばそれでいいわけです。余った利益で人を雇うとか、規模を拡大していくから、管理者という存在が生まれていくわけです。管理者が生み出されれば人は管理されるようになります。枠が生まれます。枠からはみ出したものは矯正されます。むしろ枠の中が居心地良くなります。そうやって面白くない世の中になっていくわけです。
そう考えると、文章を書くということはなんと自由なのでしょう。僕はここが気に入っています。だれも僕の書く内容を矯正しません。僕は好きなことを好きなように書くことが出来ます。僕が何を書いたって、何を言ったって、特に何の変化もなさそうです。それでいいと思います。
でも僕は自由に書いている。そういう場所が誰にも必要だと思います。好きなことを好きなようにできる場所。たまには羽を自由に伸ばしたいじゃないですか。
僕は羽を自由に伸ばせる場所を探しています。