ノマクニヒコのブログ

書きたいことを書きます。

坂爪圭吾さんのブログ

僕が毎回読んでいるブログ、いばや通信が更新された。


書いているのは坂爪圭吾さんという方。この方も確か30歳だったような気がする。新潟出身の方らしい。

坂爪さんは家を持たない生活をしている。ネットでお金を稼ぎどこかに定住しないノマドワーカー?

いやお金も稼いでない。

ただ「いばや通信」という長文のブログを頻繁に書いている。誰かに何かを売ったりしない。全く持って異質な存在である。みんなお金を稼がなければ生きていけないと信じているのに、坂爪さんは全くお金を稼いでない。ただブログに自分なりの考えを書いている。

今回のブログで坂爪さんのお金の管理について少し書かれていた。

お金はイベントなどに呼ばれたときに貰ったり、たまに誰かが無償でくれるらしい。坂爪さんのブログは読み応えがあるし、坂爪さんの活動を見ていて面白い。

人はそういうことから坂爪さんに会いたいと思う。応援したいという意味でお金もあげたくなるのかな。もし坂爪さんがネットにブログを書いていなければここまでの動きは起きてないと思う。

「自分には家がないから戻らなくていい」と坂爪さんは書いていた。まるで鎌倉時代やらの仏教教祖が全国行脚して自身の考えを広めているようだなと思った。確かに戻らなくていいというのは、裏を返せば移動し続けることが出来るということだ。好きなところに行けるし、会いたい人に会うことが出来る。

たぶん我々はその人なりの「こだわり」というものを見たいのだと思う。当たり障りのないものなど世の中に溢れている。チェーン店はどこにでもある。チェーン店の食事やコーヒーはいつも美味しい。機械がコーヒーを自動的に作っていたり、ある程度出来ているものを最終加工しているからだ。味に間違いはない。

そこにお店の特徴は少しはあるかもしれない。だが多くの人に受け入れられるように無駄なこだわりを削ぎ落としている部分もあるだろう。当たり障りのない味にしなくてはならない。そこにいびつさはない。誰でも働けるようにお店の経営も効率化しないといけない。

個人経営のお店は全てその人のこだわりが出る。

「別に万人に受け入れられる必要はない。何度も来てくれるコアなファンを作ればいい」

作家の村上春樹さんが本の中で言っていた。村上春樹さんはジャズバーを若い頃経営していたのだ。

村上春樹さんの作品も強いこだわりを感じる。一つの作品を仕上げるのに一年もかける。3ヶ月で一気に書き上げ、それを何度も何度も推敲する。その時間とやる気のかけ方が村上さんのこだわりだと思う。簡単に投げ出したりしない。

世の中には職人的気質な人間と、効率的気質な人間の二種類がいると思う。

職人的気質の人はこだわりを大切にする。効率的気質の人は効率化を大切にする。

どちらがいいというわけではなく、どちらも優れている。コンビニエンスストアやチェーン店が効率化してくれたから、どこにいても高品質のサービスを低価格で受けれるのだ。

でもそれだけでは世の中つまらない。職人的気質の人間も必要だ。職人的気質の人の活動はまるで芸術活動のようだ。その人なりのこだわりや美しさを追求している。

こだわりを捨て去るように強制する組織。そこから逃れるように、こだわりを持ち続ける個人がいる。僕はどちらかといえばそういうものを見るのが好きだ。凸凹、ゴツゴツしているもの。世の中には当たり障りのないものが溢れすぎてしまっている。

「優秀に暮らしていこうとするよりも君らしい不完全さを愛したい」

ミスチルのアルバム「Q」に収録されているHallelujahという曲の一節だ。当たり障りのない人生など個人には難しい。完璧であろうとするなど不可能だ。その人が思うがままに自分なりのこだわりを持って生きていけばいいのだと思う。それこそが多様性だ。やりたいことをやりたいようにやる人生だ。

そんなのは無理だよと嘆く前に出来る範囲で自由に表現してみたり活動してみたりすればいい。