ずっと頭の中に引っかかている概念があります。
「他人の頭の中は分からない」
「他人とは一生分かり合えない」
ああ、なるほど。そうですよねー。
でも僕はずっとこの概念が頭の中に引っかかっていました。
本当にそうなんでしょうか。本当に他人のことが分からないのでしょうか。本当に他人とは一生分かり合えないのでしょうか。
僕の中で出た答えは、
「他人の考えていることは確かに分からない。でも他人がどう感じているかは相手の反応を見れば分かるだろう」ということ。
思考と感情は別物です。
考えるということは空気みたいなものです。身体感覚がないというか。そもそも自分が考えていることも次々に変わっていきます。
お昼ご飯は何食べよう、、あ、仕事しなくちゃ、、あ、あいつにメール送らなきゃ、、
こんな感じで、自分の頭の中でさえ、雲のようにふわふわしています。これでは他人の考えていることなど分かるわけがありません。これは確かに正しい。誰も雲をつかまえることはできません。
あいつはきっとこう考えているに違いない。こんな風に他人の思考を推察するのは無駄ですね。
でも他人がどう感じているかは、相手の反応を見れば分かりそうなものです。喜怒哀楽です。
泣いていたら悲しいのだろう。
笑っていたら楽しいのだろう。
辛そうな顔をしていたら辛いのだろう。
身体は嘘をつかないのです。思考は嘘をつくことができるし、隠すことができます。相手を騙すこともできます。フリをするっていうやつです。
どんなに屈強なポーカーフェィスの人でも、誰かに殴られたり、感動したら身体が反応するはずです。痛い!とか、ウオオオ!とか。
最近インターネットの出現により身体感覚や感情というものがおざなりにされているように思います。文字情報に変わってしまうと身体感覚の全てが失われてしまうんですね。そのおかげで情報は世界中を飛び回り、お金は数字となって増えたり減ったりしているわけですが。
おざなりにされた感情。それこそが相互理解においては最も大事なものではないでしょうか。
それを感じるためには他人の近くにいないといけません。肌を触れ合えばもっと直接的に感じることができるかもしれません。アーティストは自己表現をして自分の気持ちを伝えます。
自分が何かをする。相手が反応する。笑顔になる。怒りだす。そういった情報こそ頼りになるものだし、気持ちいいものです。
他人が何を考えているかは分からないが、何を感じているかは見ていれば分かるのではないか。
そんな気がしました。