子供は誰かに自分を見てほしいと思う。
それは自分が無力だからであり、自分の実力を他人に認めてほしいからだ。
自分の実力やすごさを自分で認めているならば、誰にも見てもらう必要はない。
子供が5歳くらいになって、できることが増えてくると今度は「見ないでほしい」と言ってくる。
プライバシーの誕生だ。自分だけの秘密を作りたいのか、恥ずかしいのか。人はプライバシーを作り出す。
このように人は他人に対して要求をする。自分はあなたにこれをしてほしい、これをしないでほしい。そういった要求を誰しも持っている。
要求された側は、それを受け入れるか、受け入れられないかの選択をすることになる。
そこで自分を殺して相手の欲望をすべて聞いてしまうと、とても心がつらい。
自分にも欲望がある。世間の欲望もある。
自分はこうしたいが、世間的にはこうするのが正解ということもある。
我々は、欲望のぶつけ合いをつねに行っている。どこまで相手の欲望や要求を飲むのか。どこまで自分の欲望や要求を相手に飲ませるのか。
そういう戦いが常に繰り広げられている。
ここはそういう世界だ。