ノマクニヒコのブログ

書きたいことを書きます。

チャンスととらえるか、地獄ととらえるか。

今日は、勤めている職場で新しいポジションを経験しました。

 

今日は、正直いってあまり良いパフォーマンスを発揮できたとはいえません。あたふたしてしまって、みなさんに助けていただきました。

 

こういうときこそ、考えなくてはいけません。

 

これをチャンスととらえるのか。はたまた地獄ととらえるのか。

 

自分には、このポジションは無理ですと言ってしまうのは簡単なのですが、実際そのポジションをやってる人もいますし、できないことはないと思うんですよね。

 

うまいやり方があるはず。

 

これから模索していきたいと思います。

感謝をいただくこと

お客さんにお寿司を渡したときに、お客さんから「ありがとう」と言われることがあります。

 

その瞬間、僕の心は満たされます。感謝されるような仕事ができてよかったなと思います。

 

私の微力なる力で、誰かの心を幸せにできたのなら、これ以上にまさる幸福はありません。私は誰かのために生きていけます。

 

これこそが仕事の醍醐味でしょう。

 

ただ、最も大事なことは、客観的に自分の仕事をみることです。

 

自分はこの結果で納得できるのか。もっとベストは尽くせなかったのか。もっと効率の良いやり方はなかったのか。常に自問自答し、自分が納得できる回答を探していく。そういう姿勢も大事です。その追求心の結果、お客さんに感動を届けることができたら、本当に素晴らしい仕事をしたことになります。

 

これからもたくさんのお客さんから「ありがとう」を頂ける仕事を目指していきます。

誰かのための仕事

僕は飲食店で働いています。

 

休憩時間を抜いて10時間ほど毎日働いていると思います。

 

不思議と働いているときは退屈しません。

 

それは、誰かのために働いていることを実感できるからかもしれません。

 

飲食店に来る人は、お腹がすいている人たちです。彼らは、空腹という不満を抱えて入店します。そんな不満を抱えた人たちを、僕は満足させるために仕事をするのです。美味しいご飯を作るという仕事です。

 

仕事というのは、時間も労力もかかるものですが、相手が満足してくれたら、とても救われた気持ちになります。自分がここにいる意味があったなと思います。自己満足だけでなく、他人を満足させる。それがいい仕事だと思います。

幸せになる方法を考える重要性

人は、それぞれ、幸せになる方法を考えるべきだと思う。なぜなら自分が幸せになったら、他人にも幸せを分けれると思うからだ。

 

全員が幸せになるためには、まず自分が幸せにならないといけない。

 

僕は、幸せ=満足だと考える。

 

人それぞれ、どうしたら満足するか違う。もちろん同じこともある。

 

衣食住。

 

これらは生きていく上で必要不可欠だ。ごはんは食べないと死んでしまう。寒い国では、洋服着ないと寒くてやばい。住まいがないと不快でやばい。

 

だからこれらに関係する産業はなくならない。アパレル、建築、外食産業。

 

もし将来、ドラゴンボールの仙豆的な食品が開発されて、これだけ食べれば一日中大丈夫みたいなことになったら、外食産業、スーパーマーケット業界は潰れるかもしれない。

 

いかに自分が幸せを感じるか。それを探す旅が人生であり、生き方ではなかろうか。

人を助けるということ。

今日出勤中のこと。駅の階段を登っていこうとしたときのことです。

 

僕の目の前で、手すりにつかまりながら、杖をついて登っている男性がいました。僕が隣まで近づいたときに、その人の杖が階段の段差に引っかかりました。杖が転んで、バランスが崩れ、その人は転びそうになりました。

 

僕はとっさの判断で、その人の腕を掴んで、身体を支えてあげました。そのまま放っておいたら転びそうだったからです。

 

その人は結果的に転ぶことはなかったです。

 

僕は「大丈夫ですか?」と声かけしたあとに、足早に去りました。

 

大人に対する手助けというのは、この程度でいい気がします。その人のキャパを超えそうなときに手を差し伸べる。

 

人助けは難しいと思います。良かれと思ってしたことが、その人にとってみたら、ありがた迷惑になる可能性もあります。その人が本当に困っているのか、助けてほしいのか、よく見極める必要があると思います。

息子の成長を垣間見た瞬間。

うちの息子は今年の夏で5歳になり、娘は3歳になります。これぐらいの年齢になると、普通に会話ができます。

 

息子を見ていると、本当に大きくなったなと思います。

 

僕は、彼が生まれる瞬間に立ち会っています。陣痛が始まって5時間後くらいでしょうか。なかなか出てこないので、掃除機みたいな機械で、頭を引っ張られて出てきました。その瞬間響き渡る泣き声。

 

「うおお、すげえ!産まれてきた!」

 

などと感嘆したものです。

 

あんなに小さかった息子がここまで大きくなるなんなんて。

 

目鼻立ち、体格。あらゆるところをつぶさに見ていると、まるで赤ちゃんにビッグライトを当てたかのように成長してきました。顔つきなどは、小さいころから変わっていないようです。彼はこのまま大きくなっていくでしょう。

 

外見だけでなく、中身もほとんど変わっていないように思えます。小さいころから細かいことにこだわって、自分なりに納得できるやり方でないと駄々をこねます。

 

そんな息子の性格を僕は知っているので、彼がワガママを言い出すと、僕は諦めています。どうせ何を言っても諦めないだろうな、と。

 

しかし、そんな彼もついに成長が見られるようになってきたのです。自分の欲望をコントロールして、約束を守れるようになってきたのです。

 

先日の日曜日の話です。

 

僕は、近くのスーパー銭湯に行くことを日課にしています。

 

息子は、そこにいくと、ガチャガチャをやったり、ジュースを飲んだりします。僕たちは、前日にもスーパー銭湯に行っていて、さすがに今回は諦めてほしいなと思いました。

 

嫁さんが息子に、「昨日も買ったから、今日はガチャガチャもジュースもなしよ」というと、

 

息子はその約束に納得したのです。

 

これには驚きました。僕は彼が決して諦めない人間だと知っていたからです。我慢することをいつのまにか覚えている!

 

待合室で嫁さんがお風呂から上がってくるのを待つ間、息子が誘惑に負けそうになっていました。

 

「ねえパパ、ジュース飲みたい」

 

「今日は我慢しようね」と諭すと、なんと納得してくれました。

 

息子よ、いつのまにか成長したのか。もう君は、2歳のころの君ではない。

 

保育園のおかげか、嫁さんのおかげか。

 

 

 

 

大切な人との思い出こそ最高の価値がある。

Time is money.

 

「時は金なり」

 

という言葉があります。

 

時間は、お金と同等か、それ以上の価値があるという意味でも使われるでしょう。

 

ぼくは、「時間」こそ価値ある存在だと思います。

 

なぜなら、時間というものは無くなってしまったら戻すことはできないし、増やすこともできないからです。

 

川に流されるボートのように。

 

僕はただ、浮かんでいるのです。

 

いつかぼくも年老いていきます。もう二度と高校生には戻れないし、小学生にもなりません。ドラえもんのタイムマシンはいまだに開発されていません。

 

「時を戻すことはできない」

 

その一点において、時間こそ価値ある存在なのだと考えます。

 

また、僕は自分一人でいる時間が価値があるとは考えません。

 

自分にとって大切な人と過ごす時間こそ、最も価値あるものだと考えます。

 

そこには愛情があるし、とてもかけがえのないものだからです。思い出もたくさんできます。

 

有限なる時間制限のなか、僕と一緒に過ごしてくれているあなた。そして子供たち。

 

家はただの物体ですが、大切な人と過ごすことによって思い出が生まれます。

 

バタバタと家中を駆け回っていた息子。椅子に座ってギターを弾いていたあなた。静かに人形遊びをしていた娘。

 

すべてかけがえのない思い出です。いくらお金を払っても、もう二度と返ってきません。

 

これからもたくさんの思い出を作りたいなと思います。