取引をするためですね。
もしもみんな無料で自分の持っている物を差し出して、無料で誰かのために働いたとしましょう。そうしたらお金なんて必要ないと思うんです。無料で全て手に入りますから。
でもそれは難しい。なぜなら僕らは顔の見える人たち以上に、余りにも多くの顔の見えない人たちとつながっているから。
例えばスーパーマーケットに行ってみましょう。
いろんな産地の野菜や果物がありますね。遠いところでは、ヨーロッパなど海外の野菜や果物もたくさんあります。
お金というものがなければ、ここには到達できなかったでしょう。
例えばイタリア産のチーズ。イタリアの酪農家さんが美味しいチーズを作りました。市場に出荷します。
自分たちで運べば燃料費以外無料ですが、誰かに委託するなら輸送費がかかります。
市場では、業者が沢山チーズを買います。
イタリアの問屋さんが買ったチーズが、今度は日本の問屋さんが買うでしょう。
そのチーズを日本に運ぶのに輸送費がかかります。
日本の問屋さんが買ったチーズは、日本の市場に並ぶでしょう。
それをスーパーマーケットの関係者の人が買います。
それを市場からスーパーに輸送します。また輸送費がかかります。
そのチーズを店頭に並べるのに従業員を雇わなくてはいけません。お店を維持していくのにもお金がかかりますね。場所代、光熱費など。
このようにスーパーマーケットに海外の野菜や果物が到達するまで数多くの取引が行われてきました。そしてあまりにも数多くの人たちが関わっていることが予想されます。
それらを全て無料で出来たら、もしかしたら無料であらゆる食べ物が食べれるのかもしれないですね。
無料で車が貰えたり、無料で家電製品を手に入れることが出来るかもしれない。
ただ現実には難しいでしょう。
もしも末端である消費者がお金を払わないとなると、生産者は何ももらえないことになります。
ありがとう?気持ちだけ?
皿洗いをする?日本にいるから出来ません。
服をあげる?住所がわかりません。
それでは生産者の生活が成り立たなくなってしまいますね。
だからお金というものが必要になります。
全員顔の見える人たちだったらお金はいらないかもしれません。物をあげあったり、代わりに自分の労力を差し出したり出来るからです。小さな村ではあまりお金がいらないというのはこういうことだと思います。
ただイタリアのチーズを手に入れたとして、僕らは生産者に対してお金以外に何が出来るでしょう。
何も出来ないからお金を払うんです。
我々は知らない間に多くの人たちと顔の見えない関係を築いていて、その関係性を維持するためにお金が必要なんでしょう。