ノマクニヒコのブログ

書きたいことを書きます。

お金について

お金の力は偉大である。

 

例えば、ご飯を作ろうと思う。まず、米を買う必要がある。ガスとガスコンロが必要である。あとは鍋も必要だ。水もいる。

 

その全てを自前で用意することができるだろうか。できないことはないが、おそろしく時間がかかる。米はできるのに半年はかかるだろう。ガスはどうやって作るのかすらわからない。鍋は金属を溶かす必要があるんだろうか。水は川まで行かないといけないだろう。

 

米もガスもガスコンロも、鍋も水も。その全てが誰かが作ったものである。

 

お金さえあれば、それらを入手できる。実に便利である。米が食べたければ、その分のお金を払えばいいのだ。

 

このようにお金は交換の道具として使われる。そのお金をもらった米農家は、もらったお金で車を買うかもしれないし、水を買うかもしれない。また交換に使われる。

 

お金さえあれば、生活には困らないと思う。だから、みんなお金がほしい。たくさんあればあるほどいいだろうと考えるわけだ。

 

じゃあお金はどうやったらもらえるのだろう。誰かからもらわないといけない。持ってる人からもらう必要がある。お金を持ってる人は、どうしたらお金をくれるだろう。

 

その価値を感じた人がお金を払うだろう。つまり、その人にそのお金を払うだけの価値を感じさせればよい。

 

競合他社がたくさんいる場合は大変だ。同じ製品を作ったとしても、競合他社がより優れていればお金を払わないかもしれない。

 

なるべくなら、競合他社が少なく、人が価値を感じやすいものが良いだろう。比べられると質を上げたり、値段を安くしないといけなくなるから。

 

このように、現代社会は過酷である。お金をもらうためには誰かからもらわないといけないのだから。ベーシックインカムのように必ずもらえるわけではない。お金をもらえるだけの質を提供しなくてはならないのだ。質を提供できなければ雇主、またはお金を持っている消費者は金を出さない。

 

ご飯を食べるために、お金を得る必要がある。これは紛れもない事実だ。